' . "\n"; ?> 時計仕掛けのブルーローズ1 | :::LitSwD:::

 あの日から幾度目かの目覚めだ。本来なら目覚めることはなかったはずだが、と屈辱に唇を歪ませる。
 暗い部屋の中、右手方向に光源がある。勝手にナイトビジョンモードになった視界は緑色のヴェールがかかっていた。
 微かな作動音と、キーボードを叩く音。聞き慣れてしまったリズムは果たしてジャックをここに連れ込んだ男のものだった。わざと音を立てて立ち上がる。
「ああ、だいぶバグも取れてきただろう。調子はどうだ?」
 モニターから目を離さずに話しかける男は自分を助けた恩人、ということになるのだろう。仄暗いガレージのなか、ぼんやりと浮かぶ顔に感情は見つからない。露光量を増やしたとしても何もかわらないだろう。ナイトビジョンモードを解除するとジャックは鼻を鳴らした。緑色の光から変わっても、男は男だ。
 助けるという言葉は果たして適切なのだろうか。彼にとって自分は親友のレプリカである。自己認識も何もかもが自分は「ジャック・アトラス」であるが、自分のモデルとなった「ジャック・アトラス」のこともしっかりと認識していた。恩人どころではなく、敵の捕虜の方が正しいに違いない。だが彼――不動遊星、「ジャック・アトラス」の親友――は自分に何もしない。尋問や拷問どころか、捕縛すらされていない有様だ。
「どうした?発声システムにでも問題が」
「ない」
「そうか。どこか不具合は」
「それもない」
 ようやくこちらを見た瞳は凪いでいる。苛つく回路をなだめると、腕を組んだ。不穏な空気を感じ取ったのか、男はジャックに視線を移した。
「何が目的だ」
「前も答えた気がするがないぞ、目的は。強いていうなら、助けられたからだ」
「侮辱するつもりか……!」
 きょとん、とした顔のままジャックを見つめる遊星が憎い。敗者である自分がのうのうと生きていられるのを許せるほど、プライドは低くない。あの存在の場所を奪えるかどうか、それが問題だったのだ。奪えなかった自分は消えて行くのが道理である。勝者の側にいる彼が何をしようとジャックにとっては意味のないことだ。
「いや、そんなつもりはないのだが……すまない」
「謝って済む問題か!」
「死にたいのか、お前は?」
 深呼吸をして罵声を飲み込んだ。
 彼は理解できていない。存在を奪わなければ存在できないということ。そう創られているのだから、そう生きるしかできないこと。
「死にたくはない。だが、俺が奴に敗けた以上、俺は存在できないのだ」
「そんなことは、ない。ジャックに敗けたからと言って、ジャックが死ぬ理由は」
「五月蝿い、分かっているではないか!俺はジャック・アトラスを簒奪しなければジャック・アトラスになれ」
「違う!」
 椅子が倒れる音が聴覚センサーを震わせた。身体の中で鳴り続けるような錯覚と泣きそうな遊星の顔に目を細める。激情に押されて立ち上がった遊星は首を振って額に手を当てた。
「ジャックは、ジャックのまま生きられるじゃないか」
「何を世迷言を」
「今生きてる」
「それは貴様が」
「俺の幼馴染も、お前も俺にとっては別のジャックだ。同一人物じゃない、別々の生きてる人間だ」
 ずきずきと頭が傷む。
 メモリが勝手に判別した。
 こめかみに手を当てる。部品がカラカラと音を立てて高速で動き始めている。
 保存するべき言葉だとメモリが勝手に判別し、選り分け、記録し、消去できないようプロテクトをかけた。ジャックの意思を無視してそれは行われている。新しい音声記録、消せない絶対命令。
「幼馴染のコピーだから保護したんじゃない、俺はお前に生きて欲しいんだ」
「ば、かげている」
「お前は幼馴染に似ている。でも、違う。絶対に違う。お前はお前として、ジャック・アトラスを生きられると思った」
「やめ、ろ」
「いや、生きて欲しいんだ俺が、お前として」
 どう生きればいいのかも分からない。だが、もうそれはジャックの生きる意味となってしまった。ジャック・アトラスを簒奪するものから、遊星の願いによって生きるものに変わってしまった。
 抵抗の意思など初めからなかった、生きたいと思っていた心があった時点でそれは消えていた。
「別の名前が欲しいなら俺がやる。だから、死ぬなんてやめてくれ」
「うる、さい、誰が貴様などに」
 虚しい言葉だ。機械の自分に生きろと懇願する男も虚しい。だが、その願いを受け入れる自分が最も虚しい。
 まだ遊星は気付いていないだけだ、幼馴染と自分を同一視していることに。幼馴染への想いを自分への執着にすり替えてしまっていることに気付いていない。ジャックはジャック・アトラスの忠実なるコピーだ。オリジナルと道を違える日など永遠にこない。彼の模倣を続けるだけの哀れな人形である。
 だが、忠実なコピーだからこそ遊星の懇願に勝てるはずが、ないのだ。
「ジャック」
 新月の夜を溶かし込んだ紺色の瞳はジャックの回路を停止させる。
「生きてくれ」
 その身勝手な願いを叶えてしまいたいと、それだけを出力させて。


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2012/01/04 : アップ